5.蝉しぐれ

山形県山寺で詠まれた芭蕉の有名な俳句にある「蝉の声」はアブラゼミなのかニイニイゼミなのか、俳壇において斉藤茂吉と小宮豊隆の間で論争になったという逸話があるが、東京周辺でもっとも感興のある蝉の声といえばヒグラシではないだろうか。

小学生の頃、ニイニイゼミやアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシといった蝉たちは都内で比較的容易に捕まえることができたが、何故かヒグラシだけは別格であった。めったに出会うことが叶わず、たまに夕方「カナカナカナ・・・」という神秘的ともいえる声だけが、住宅地にごくわずかに残された高木の林の奥から聞こえてくるのである。今思えばヒグラシは、他の蝉に比べてより自然度の高い環境を必要とする種類だったのかもしれない。

ヒグラシが比較的稀な種類であるという先入観が間違いであることを知ったのは、大学の研究室恒例の温泉一泊旅行で箱根に行った時のことである。宿に到着して一休みした夕刻、皆で周辺の山道に散策に出ると、いつの間にか周りから降り注ぐ蝉の声に包まれていた。しかもその声の主がすべてヒグラシ一色の大合唱。なるほど「蝉しぐれ」という言葉は、こういう状況を言っているに違いないと納得させられる経験であった。

ヒグラシの「蝉しぐれ」に遭遇する機会は、その後もう一度訪れた。7月の猛暑の中、たまたま山小屋の自然分解トイレ設備の調査で丹沢山系の塔ノ岳に登り、その下山途中であった。時刻は午後3時過ぎごろ、このときの「蝉しぐれ」の迫力は箱根での体験をはるかに凌駕していた。何しろ前後、左右、上下すべての方向から聞こえてくるヒグラシの合唱で、全山が埋め尽くされているのである。

山道の脇の林では、いたるところにかつて希少種と憧れていたヒグラシが枝のあちこちにぶら下がり、林の木の根元を見れば、なんと羽化前の幼虫まで、もそもそと地面から這い上がってくるではないか。こんな「蝉の佃煮」状態の山道ではあったが、ヒグラシの声はいくらボリュームが増しても子供時代のイメージを損ねることなく、神秘的な自然のパイプオルガンのように山全体を覆っているのであった。

年号が平成に変わった頃、東京から川崎市に引っ越して何度目かの夏、朝の通勤で公園脇の道を通る際、ふと何かいつもと違う感覚に胸騒ぎのようなものを感じた。ヒグラシと共に子供時代にあこがれの対象であったあのクマゼミの声が、聴きなれたアブラゼミやミンミンゼミの声に混じって耳に飛び込んできたのである。クマゼミの声は一度聞いたら忘れられない独特の「シャンシャンシャン・・・」という強烈な押し出しのある響きを持っている。その黒々とした大きな体とともに、子供時代に真夏の臨海学校で一度だけ聞いた際の驚きが、忘れること無くずっと耳に残っていたのである。

その後も毎年夏になると、自宅そばの公園ではにぎやかな三重唱のメンバーとしてクマゼミの声が聞かれるようになった。初めてクマゼミの声を公園で聴いた時から10年近く経った今日では、温暖化による昆虫たちの北上は尚も続き、クマゼミの「蝉しぐれ」は多摩川を渡って東京でも酷暑の夏をさらに暑苦しいものにしているのである。