2.父のペンチ

 物心ついたころから家にあった日曜大工の古い道具箱の整理をふと思い立って始めてみた。

随分使い古した工具から、わりと最近になって買い足したものまで渾然一体おもちゃ箱のようになっている。クギやモクネジなどの細かいものを別の整理ケースに移すと工具類だけになってすっきりしてきた。

子どものころに親しんだ道具類もみな健在で今でも現役として使えるが、傷だらけの鉄製ペンチだけは錆びついて動かなくなっていた。日本には今では優れた潤滑剤が普及している。これをペンチの結合部に何回か吹き付けてやると錆びがじわじわ浮き出してきて元のように生き返り、カチカチと軽快な音を立て始めた。

うれしくなって何度も繰り返しその音を聞いていると何故か急に時がさかのぼり、子どもの頃の父との数少ないやり取りが思い出されてきた。デパートでインテリア部門の営業の仕事をしていた父は、その関係からか一流の家具職人さんとの付き合いも頻繁にあり大工仕事には結構こだわりを持っていたようである。

今のようなホームセンターなど皆無の時代であったが、日曜大工はどの家庭でも男性の必須の仕事で、ノコギリ、カンナ、クギヌキ、ドライバーなど道具の選び方や使い方については何かを作ったり修理が必要になった際に教えてもらった。ただその時使う道具類はどれも大人用のサイズで、子どもの手には重く使いづらかった感触が今も手に残っている。

子ども時代に自分で作った最大の工作物は廃材を利用して組み立てた鳩小屋である。伝書鳩が10羽以上飼える立派なもので我ながらうまく出来た記憶が残っている。ただ今になって思えば要所要所での工作のコツは父に教えてもらっていたのかもしれない。

大学時代の研究室で、屋外に実験観察用の大きな野鳥ケージを手作りで建てることになった。その際、建物の水平を確保するための「水盛り」という方法を知っていたため、すっきりした出来映えとなり教授に褒められたこともある。

 父は88歳で亡くなったがとても無口な人で、普通の父子のように、しかられたり褒められたりしたことが一度もない。ましてや男同士語り合うなどということは想像もできない間柄であった。そんなわけで父からの影響や愛情がとても稀薄なものだったと何となく思い込んでいたのだが、それが大きな間違えだったのかもしれないことを、再び蘇えったペンチの音に教えてもらうことになった。